前記事に続く、3話中第3話
・脳性麻痺の息子が一人暮らしを実現するまで
・息子と娘
・著書を出してよかったとやっと思えた母の一言
・これから
についてお話しさせて頂きました。
こちらもまた、
沢山のコメントありがとうございます。
「ヘルパーさんの手を借りてるのに、それって一人暮らしとはいえないのでは?」
その声、なるほどなーって思いました。
一人暮らしとは1人で暮らすこと。
この、1人の概念が私たち障害当事者と、
そうでない一般の人たちとでは、大きくかけ離れている。
これが面白かったです☺️
1人で生きるとは、なんなんでしょうね。
「人の助けを借りず、なんでも自分1人でできることが、
1人暮らし」なのかな?
なのだとすれば、
私自身ももはや一人暮らしはできないなと思いました☺️
だって、
私もたくさんの人の手を借りながら今も生きているからです。
昔、私は自分1人でなんでもできることがいいことだと思っていました。
苦手なことも頑張って、
得意な人の何倍も時間とエネルギーをかけながら、
それでもとにかく1人でなんでもできるようにならないと。
ある程度はできるようになる。
でも、得意な人と比べるとクオリティーの低さ!!
そして何より、孤独でした。
でも、できないことはできないと言えるようになり、
頼ってもいいんだ、人の力を借りてもいい。
それがわかったとき、
本当の私の力を
本当に必要なところに集中して活かすことができるようになりました。
そしたら、いい仕事ができて、
たくさんの方が喜んでくれて、
そして私の周りには、沢山の仲間ができてきました。
1人でやらないという選択をしたことで
私はひとりぼっちじゃなくなりました。
人に頼ってはいけない。
人に迷惑をかけてはいけない。
そんな暗黙のルールがあるこの日本ですが、
私は息子が一人暮らしする姿を通して、
感じたことが一つあります。
それは
「1人暮らしって、沢山の人と生きていくことなんだな」
1人でがんばることが正義なのではなく、
人は誰もが人と繋がって生きていいんだ。
迷惑かどうか、どう感じるのかは
ひとりひとり違うのだから。
そんな選択肢が、
彼を通して伝わったらいいな。
そんなことを感じたのでした☺️
1〜3話。
最後まで読んでいただきありがとうございました🙏
取材いただきました、CHANTO WEB編集部さま、ライター 林優子さま
取材していただき本当にありがとうございました✨
みんなが幸せに生きることができますように。。。
亡くなった父に脳性まひの息子を侮辱された過去も…息子は25歳でひとり暮らしも実現「ようやったやろと、父にいつか言いたい」|CHANTO WEB