「お母さんのサポートなくても、
1人で登壇できる講師になりたい」
2024年10月22日、
君の夢が叶った日。
重度脳性麻痺である自分だからこそできる方法で、
介護や医療を学ぶ学生に学びを届けたい。
【動けないけど社長、話せないけど大学講師】
そうキャッチコピーを掲げ、話せない自分だからこそ伝えられることがあると、高校卒業から3年、母親である私たちタッグを組み、学生に生きた学びを届けてきた、、、つもりだった。
そんなある日信頼していた大学教授からの一言
「話せない大学講師を続けたければ話してください。」
母親の通訳なく、1人で話して欲しい。
この一言に君は突き動かされた。
2022年1月
麻痺を少しでも軽減させるために君は手術を決めた。
効果があるかないかわからないと言われていたが、
「やってみないとわからない」
「効果がなかったとしても、経過を発信することで誰かの選択肢の一つになれる」
そして手術をした。
クラファンもして、その過程を発信し続けた。
結果的に、手術の効果は今ひとつだった。
それでも、様々な機器に挑戦し、どうにかして今の自分でも使いこなせるものはないか君は探し続けた。
機器だけでなく、声で伝える練習も君は努力した。
そして2023年11月
「これなら麻痺の強い自分でも操作できるかもしれない」
そう思うことができる機器にやっと出会えた。
瞼の開閉でiPadを操作する。
地道に練習を重ねた2024年10月22日。
君はついに1人でスライドをめくり、
自分の想いを学生に伝えた。
決して長い時間ではなかったかもしれないが、
でも間違いなく君は1人で、60名の学生に向け
講義を届けることができた。
君はいつも学生に伝えるよね。
「あなたならできる。だから自分を諦めないでください。」
それは君が君に言い続けてきた言葉なのだろうか。
あの日、泣きながら君は言った。
「この仕事を辞めたくない。諦めたくない。」
あの日の涙は、決して無駄じゃなかった。
「まだ完璧じゃない。これからだって。」
君は嬉しいってゆうより、
真剣な顔してそう言うけれど、
でも。
私はやっぱり嬉しかったよ。
本当は学生たちの前で飛び上がって、
叫んで、君を抱きしめたい気持ちを抑えることに必死だった。
まぁ、君は嫌だろうけどさ。
親なんてそんなもんなんだよ。
これからもっと沢山の学生へ君の講義を届けて行けるようにきっとなるよ。
帰りの車で伝えると、彼はありがとうと言って笑った。